社会福祉法人生活クラブ

生活クラブ風の村 社会的養護事業統括施設長 髙橋克己

 

10周年記念誌より~

「めぐり逢わせ」

   はぐくみの杜施設長 髙橋克己

歴史を辿るような、理念も知識も持ち合わせていないし、私の理屈など屁のつっぱりにもなりはしない。理屈を裏付けるような生き方や人間性など欠片もないのに、この10年を紐解くなんて顔から火が出るほど恥ずかしい。だいたい、振り返っても謝罪と感謝しか出てこないのに、一丁前に施設長とか呼ばれ、人を教育とか指導とかちゃんちゃらおかしいと言われればぐうの音もぱーの音もチョキの音も出ない。外弁慶で、秋田弁でまくし立てるように早口でしゃべる父親の遺伝か、口先だけで渡り歩いてきたように感じていて、これまた顔が赤くなる。はぐくみのスタッフは、「なぜはぐくみに就職したのか?」と尋ねると「高橋さんに騙されました…」と答える者が少なくないのも当然の話なのである(笑)。

父は本と麻雀と酒が好きで、小学校に入学すると同時に日本文学全集が揃えられ、小学生なのに路傍の石とかキリストを好きで読むような子どもだった。ラインもSNSもなかった中高生時代、暇をつぶすのは誰かと喋ることだけだったし、誰かをしゃべりで笑わせられる奴が一番人気があった。そして、大学生になり酒を飲みながら夜な夜な人生訓を語り合い、ディベートで勝てる奴が賢者となり一目おかれる存在となり得た。そりゃあ、口先が鍛えられるはずです。しかし、所詮口先、言葉に責任を持つつもりも毛頭ないので、深夜のレイトショーの定番は植木等の「ニッポン無責任時代」で、無責任OK!と承認を頂いていたものだった。そんな根拠のない虚像を口先だけで演じてきた自分が、一つの施設の施設長になれたのは、「いい人に出会うチカラ」しかないと感じている。

あの日、おんぼろの人力舎に“西村さん(ごんべい)”と“湯浅さん(ベビースマイル)”が突然いらして、孤独な青年の支援を語り合うことがなかったら私はここにはいない。その後、おんぼろの人力舎に“池田さん(元理事長)”と“平田さん(ユニバーサル就労ネットワークちば)”が突然来て、児童養護施設の立ち上げについて語り合うことがなかったら私はここにはいない。児童養護施設開設責任者が“水谷さん(前理事長)”でなければ、はぐくみの杜君津の建物やあり方、私のメンタルはこうはなっていなかった。そして、開設の地が小糸でなかったら、支える会がなかったら…、そして、開設時のスタッフがあのスタッフ達でなかったら(騙されていなかったら)、以降全スタッフがはぐくみに勤めてくれなかったら(騙されていなかったら)…はぐくみの杜君津の生き生きとした成長は、奇跡のめぐり逢わせが生み出したものに他ならない。

はぐくみの杜とはどんな養育理念を持っていますかと聞かれても、確固とした養育方針も養育観も捻っても微塵も出てこないし、見つけたとしても嘘くさい。もともと私はそんなものを持ち合わせてはいない。ただ一つはっきりしていることがある。目新しい養育手段ではなく、幼少期から青年期に出会った大人のあり方や存在によって私は育ってきたし満足している。同じように、「はぐくみの杜の子どもたちに関わる人々の存在」が、はぐくみの杜の養育のすべてであり手段であり誇りなのだ。

 

「奇をてらうことなく、実直に」とは土手で一服しているときに水谷さんが言っていた言葉。そして、「高橋さんってどんな人?って聞かれてさ。普通の人、いい意味でって言ったんだよね。」と飯を食ってるときに、にやっと笑いながら教えてくれた。どちらかと言うと、地味な生き方とは真逆に生きてきた者同士の会話とは思えないけど、人と違う突飛な人間にならなくては…という50年間の肩の荷が下りた気がした。